Wwise Spatial Audio 2023.1の新機能 | 位相ずれの軽減

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今回のブログでは環境の音響をモデリングする際に発生することのある、「位相ずれ」と呼ばれる興味深い音響現象について詳しく見てゆきたいと思います。まずはじめに位相ずれの元となる物理について簡単に説明した後、位相ずれの思わしくない性質を最小限に抑える、Wwise 23.1で導入されたReflectの新しいツールをご紹介します。

位相ずれとは?

位相ずれはよく、音をパイプ管を通して聞いた時の音に似ていると言われます。ほかにも頭上を飛ぶジェット機の音、スイープ音、空洞音などと表現されることもあります。 次のクリップ例は無修正のドラムビート(上)と、位相ずれを適用したもの(下)です:

位相ずれを適用したクリップの方が空洞のような質感があることに注目してください。位相ずれ* は音楽向けのクリエイティブなエフェクトとして使われることが多いですが、エフェクト自体はオーディオ用プラグインやペダルだけのものではありません。日常生活においても位相ずれを観察することができます。次の動画では噴水の音に位相ずれが起きている様子がよく分かります:

基本的な位相ずれの物理学

最初に位相ずれを理解する上で基本となる、波の干渉について説明します。2つの波が出会うと何らかの干渉が起きます。干渉は強め合う(合成波の振幅が増大する)か、弱め合う(振幅が減少する)ことになります。 干渉の種類や大きさは双方の波の振幅、フリクエンシー(周波数)、位相によって異なります。

以下のアニメーションでは青い波がオレンジ色の波に遭遇します。オレンジ色と青色の波が揃う時は強め合う干渉が起き、結果として生じる波(赤色)の振幅は増大します。オレンジ色の波が右に移動するにつれ(時間のディレイまたは位相が増加するにつれ)、生じる波の振幅がゼロまで収縮し、その後再び増加します。

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波の干渉の単純な例

これは同じフリクエンシーの2つの信号が干渉した時の影響を示す単純なデモンストレーションですが、現実的にはほぼすべてのオーディオ信号がより複雑であり、多数の異なるフリクエンシーで構成されています。そこで信号のスペクトラムを観察した方が効果的です。

以下のアニメーションは先ほどの噴水ナリオを再現したものです。リスナーに届くまでの音波の経路(パス)が2つあります。 1つは直接パス、もう1つは壁からの反射のあるパスです。 右上のグラフが合成波のスペクトラム、右下のグラフが各波のToA(Time of Arrival、到来時間)を示しています。

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噴水の位相ずれのシミュレーション

リスナーが壁に近づくにつれ、両波のToA差が小さくなり、スペクトルの顕著な山と谷の繰り返しが起きます。この繰り返しのパターンから、異なるフリクエンシーの成分の振幅が大きくなる(山)、または小さくなる(谷)ことが分かります。つまり各フリクエンシー成分がどのような干渉を受けるのかを、スペクトラムから知ることができます。このコーム(櫛)形状のパターン** を、私たちが位相ずれとして認識しています。

ここでいくつかの点に注目してください。第1に音波のToA差が短い場合(20ms以内)は、位相ずれが非常に顕著に出現します。第2に今回のモデルでは音のパスが2つだけでしたが、現実的には膨大な数のパスがあります(無限に多いのですがレンダリング可能なパス数は限られています)。ToAはパスによって異なり、あるパスのスペクトルの山がほかのパスの谷と重なり、打ち消し合うこともあります。下図は3つの異なるToAの信号が合成された時の影響を示すグラフです。最終的なスペクトラムがより平坦になってゆくのが分かります:

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複数の反射のスペクトラムを合成した結果

位相ずれが日常生活で実際に発生していることは確かですが、これを見ると数多くの反射が互いに影響し合い、位相ずれのエフェクトが抑制されるため、実際には位相ずれが稀であることが分かります。 一方、音響モデリングの世界では計算負荷を軽減させるために反射の数を減らす必要があります。その結果、位相ずれが発生しやすくなります。

Reflectを活用

Reflect(反射)プラグインは環境内の音を空間的に認知しやすくするための初期反射レンダラです。音波は音源から出て、さまざまなサーフェスに反射してからリスナーに到達します。そのうち初期にリスナーに到達する少数の反射こそ、私たちが空間を知覚する上で大きく関与するもので、Reflectプラグインでレンダリングします。

読者は反射をReflectが処理するのであれば、「位相ずれを伴うオーディオもReflectでレンダリングできるのでは?」と思うかもしれません。答えはYESです!次のデモは先ほどの噴水の場面をReflectプラグインでシミュレートしたものです:

リスナーが壁に近づいて噴水から離れるにつれ、噴水の動画と非常によく似た明確な位相ずれエフェクトが聞こえます。実際の現象をReflectで再現できることはすばらしいですが、ゲームプレイではこのエフェクトがかえって邪魔になるかもしれません。幸いReflectはこの位相ずれのエフェクトを抑えるツールを備えています。

軽減ツール

Wwise 23.1のReflectには位相ずれを軽減させる新しいツールが2つあります。

Clustering(クラスタリング)

ToA差が20ms以内の反射が複数ある時に位相ずれが発生することが分かっているのであれば、これらの反射を以下のように1つの有効な反射にまとめて「クラスタリング」することができます:

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Clusteringの考え方

上図でリスナーに到達する反射パスが3つあります。パスAとパスBのToA差は20ms以内です(TOA差 =19 - 18 ms = 1 ms)。そこでパスAとパスBをクラスタリングして直接パス(オレンジ色)と融合させます。一方でパスCのToA差は20msを超えるため、変更されません。

Clusteringを有効にするには、Reflect UIのDirect Sound Max Delayプロパティを「0」以外の値に設定します。このプロパティは最大ToA差をミリ秒単位で表します。ToA差がこの値以下の反射は、すべてクラスタリングされます。

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Direct Sound Max Delayの設定

以下はClusteringのデモ動画です:

クラスタリングはシンプルで効果的なアプローチで、レンダリングする反射数が減るため、計算負荷が減るというメリットもあります。欠点は反射をクラスタリングした時に、融合させることができるのが直接パスだけということです。ほかのToA差に集中する反射は、クラスタリングできません。

Decorrelation

実際の表面においては音の反射だけでなく散乱(scattering)も起きます。前のセクションでToAの異なる複数の反射を合成した場合に、より平坦なスペクトラムとなることが分かりました。散乱波を主要な反射に融合される複数のミニ反射と考えることができます。


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散乱波

散乱波のモデル化に使用するフィルターは、Decorrelationフィルター と呼ばれるグループに属します。

Decorrelationフィルターを有効にするには、ReflectのユーザインターフェースでDecorrelation Strengthプロパティを「0」より大きい値に設定します。Decorrelation Modeドロップダウンボックスには以下の2種類のデコリレーションフィルターがあります:

Favor Performance (パフォーマンス優先)では音響散乱の物理モデルに基づいたデコリレーションフィルターを使います。
このオプションは計算コストが少ない一方で、位相ずれの低減効果がFavor Quality に劣ります。Decorrelation Strengthを高く設定した場合、スペクトルに多少のカラーレーションを与えることがあり、一部のフリクエンシー成分の増減につながります(位相ずれに似ています)。

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Favor Performanceデコリレーションフィルターの設定

こちらの動画はFavor Performanceを使用したデコリレーションフィルターの効果を示すものです:

Favor Quality (品質優先)で使用するのはアルゴリズム設計ベースの別のタイプのデコリレーションフィルターです。効果的に位相ずれを削減しながら、スペクトルのカラーレーションを最小限に抑えます。ただし計算コストが高くなります。

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Favor Qualityデコリレーションフィルターの設定

こちらの動画はFavor Qualityを使用したデコリレーションフィルターの効果を示すものです:

パフォーマンスか、品質か

これまでの例から一般的にFavor Quality の方がFavor Performance よりも、スペクトルのカラーリングの影響を抑え位相ずれを低減させる効果が高いことに気づいたかもしれません。ところがこれはCPUリソースとの引き換えの上で成立します。Favor Performance はほかの種類のサウンドが関連する場合などは特に、少ないリソースで好ましい結果を出せるという特徴があります。以下の例ではピンクノイズの代わりにドラムビートを音源とし、Decorrelation Strengthを15という低いレベルに設定した時に、スペクトルのカラーリングを最小限に抑えつつ、位相ずれを大幅に減少させています。

さまざまな音でデコリレーションの色々なモードを自由に試してみてください。特定の音に最適な特定のデコリレーションモードを発見できるかもしれません。

下表にフェイズ低減の各アプローチの概要と、メリットやデメリットをまとめました:

 

軽減タイプ

コンセプト

メリット

デメリット

Clustering(クラスタリング)

一定範囲内のToA差のすべての反射を、直接パスに融合

デコリレーションフィルターより計算負荷が少なく、操作が簡単

直接パスにだけクラスタリングして融合。空間的な認知レベルが多少低下する可能性がある。

Decorrelation: Favor Performance

音響散乱モデルに基づいて設計されたデコリレーションフィルターを、反射のオーディオ信号に適用

デコリレーションフィルターのFavor Qualityモードより計算負荷が少ない(Decorrelation Strengthを高めると計算コストが増加する)

位相ずれを低減する効果が弱く、スペクトルのカラーリングが追加される可能性がある

Decorrelation: Favor Quality

アルゴリズム処理に基づいて設計されたデコリレーションフィルターを、反射のオーディオ信号に適用

スペクトルのカラーリングを抑え、位相ずれを低減する効果が高い

Favor Performanceフィルターより計算負荷が高い

 

ステレオワイドニング

デコリレーションフィルターの用途はほかにもあります。ステレオイメージを広げる機能がその1つで、Reflectで提供されています。有効にするのは簡単で、Widen Stereo Fieldチェックボックスをクリックし、確実にDistance Spreadカーブを一定の距離にわたり0以外の値とし、Decorrelation Strengthを0より大きくします。Decorrelation Strengthを大きくすることで、ステレオフィールドがさらに広がります。

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Widen Stereoの設定

まとめ

ToA差の小さい音響反射を合成すると櫛型のパターンのスペクトラムとなることがあり、これを私たちは位相ずれとして認識しています。Reflectは初期反射をレンダリングするため、特定の状況下で位相ずれが発生する可能性があります。このエフェクトで気が散ってしまう部分を減らすため、Reflectはいくつかのツールを提供しています。

* 似た波が干渉パターンをつくり出すエフェクトを、音楽制作の業界では一般的に「フランジング」と呼びますが、ここでは「位相ずれ」と「フランジング」を同じ意味で使用しています。

**櫛歯のようなパターンから、馴染みのある「コム(櫛)フィルター」という用語ができました。

 

アレン・リー

ソフトウェアデベロッパ

Audiokinetic

アレン・リー

ソフトウェアデベロッパ

Audiokinetic

テープ機器が大好きなAudiokineticのR&D部門のソフトウェアデベロッパ。

気ままなモノづくり時間、猫、そしてBossブランドのレインボーマウンテンブレンドがお気に入りです。

いままでに一番好きだったゲームは『エレクトロプランクトン』。植物も大好きです。

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